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メタボリックシンドロームと鍼灸治療

平成20年8月号

生体制御学会ホームページ委員長

河 瀬 美 之

 

平成19年8月まで「研究班紹介」と題して研究班の班長の先生より研究班の紹介を頂いておりましたが、9月より、メディアの医療情報の中で研究班に関係する記事がありましたら各班長にコメントを頂き、日頃の臨床に役立てて頂く目的で「生体制御学会NEWS」を発信させて頂きます。

 今回は『メタボリックシンドロームと鍼灸治療』と題して、生体制御学会研究部不定愁訴班班長の石神龍代先生に以下のように解説して頂きました。

 

メタボリックシンドロームと鍼灸治療

 

生体制御学会研究部 不定愁訴班班長

石神 龍代

 

 本年度から、厚労省がメタボリックシンドロームを核にして、保健・健康政策を進めることを決め、予防医学的観点に立ち、高額医療を要する血管病はもちろん、糖尿病などの生活習慣病を減らすために、生活習慣の改善を実行して腹囲を減らすというきわめて安価な方法で医療費の抑制につなげようとしています。

 このような将来招来する病気を念頭において現時点の生活を改善するという予防医学的な思考方式は、東洋医学の基本であり、鍼灸治療の一番の適応症だと思います。

 鍼灸診療の現場では、種々その効果と思われる現象に遭遇していますが、その作用機序については不明な点が多く、なかなか市民権を得られていないのが現状であります。

 今回、鍼灸治療の作用機序のひとつとして有力と思われる自律神経についての研究を紹介させていただきます。

 東北大学大学院医学系研究科付属創生応用医学研究センター先進医療開発部門再生治療開発分野片桐秀樹教授は、日本医師会雑誌第136巻・特別号『メタボリックシンドローム』の中で、「自律神経ネットワークによる臓器間の協調的代謝調節」と題して、次のように述べておられます(抜粋)。

 「内臓肥満は、耐糖能異常・高脂血症・高血圧の状態を招来させ、これらを合併した状態をメタボリックシンドロームと呼ぶ。この発症基盤である内臓肥満に対しては、まだ根本的な治療はなく、食事・運動療法によるエネルギーバランスの調整が中心である。特に、インスリン注射や経口糖尿病薬の多くのものは、食事・運動療法の徹底なく投与した場合、かえって肥満を惹起し、インスリン抵抗性を悪化させることが知られており、この点からも、エネルギーインプットとしての食事量、アウトプットとしての基礎代謝などのエネルギー消費を調節しエネルギー代謝の恒常性を保つ薬剤の開発が急務である。

 では、体内にはエネルギー代謝の恒常性を保つ機構は存在するのであろうか?まず、その第一として、レプチンがあげられる。レプチンは、脂肪組織から分泌され血液中を流れて脳の視床下部に働き、主に食欲を抑制することでエネルギー代謝を負に制御する。脂肪蓄積が始まると体重を減少させ、体重を一定に保つ働きをしているホルモンであり、エネルギー恒常性維持機構において重要な役割を果たしている。しかし、肥満状態になると、視床下部におけるレプチンの効きが減弱し、食欲にブレーキがかかりにくくなる現象(レプチン抵抗性)をきたす。レプチン抵抗性は、肥満を維持・悪化させる機構として、肥満研究において大きな注目を集めている。

 最近われわれは、内臓脂肪組織からの神経シグナルが、レプチン抵抗性を改善し食欲を調節する働きを有していることを見いだした。具体的には、脂肪組織にUCP1を発現させ代謝を亢進させると、視床下部におけるレプチン抵抗性を軽減し過食を改善する現象を見いだした。さらに、脂肪組織の神経を切断したり、薬剤性に求心路を遮断したりすると、この現象が抑制されることを観察したことから、脂肪組織からの自律神経求心路が視床下部におけるレプチン感受性を調節していることが示された。このことから、脂肪組織はエネルギーの貯蔵庫やホルモン(アディポサイトカイン)の分泌臓器としての役割だけでなく、自律神経の情報を発信し全身の代謝を調節するシグナル源としての役割を果たしていることが明らかとなった。薬剤その他でこの経路を活性化する手法が開発されれば、レプチン抵抗性の改善による肥満の軽減につながる可能性がある。

 さらに、肝臓からの自律神経ネットワークが、基礎代謝亢進や脂肪組織における脂肪分解を引き起こすことを見いだした。この自律神経系ネットワークは、過栄養時に基礎代謝を亢進させ肥満を予防するフィードバック機構として機能していると想定された。個々人には体重のセットポイントがあると考えられ、また個人差も大きい。これは、体内に内在するエネルギー代謝調節機構が存在すること、また、その働きは人によってさまざまであることを意味している。

 全身の各臓器・組織の代謝はそれぞれ個別・無関係に行われているのではなく、個体としての代謝を効率よく一方向に導くべく、協調し密接に関連して進められていると考えられる。この機構が乱れると、肥満やそれに基づく糖尿病・メタボリックシンドロームといった代謝疾患が引き起こされる可能性がある。

 われわれは、上記のように、1つの臓器へ後天的に遺伝子導入を行い一臓器での代謝を急性に変化させた結果、他臓器の代謝、ひいては、全身の代謝にどのような急性の影響を及ぼすかを解析する手法を用いて、自律神経系が、臓器(組織)間代謝情報ネットワークに関与している機構を明らかにした。」

 私たちの鍼灸治療は、生体の統合的制御機構の活性化を目的に行われていますので、上記の自律神経系に大いにかかわっていることは推測されます。

 来院患者さんに食事療法、運動療法の適切なアドバイスを行うとともに、個々人にあった適切な鍼治療(穴の位置、穴の深さ、穴への刺激量)を定期的に継続していくことが、最良の予防医学になると思います。